シャトー・ドゥ・カニジーの歴史
1066年、カニジー領主のユーグ・ドゥ・カルボネは、征服者ウィリアムの側近として、彼の卓越した剣術を振るいます。ノルマン人はイングランドを侵略し、歓喜に満ちた戦士は勝利という大きな手土産を携え、カニジーの要塞に戻ります。
1787年、ケルゴルレイ家のはじまり 貴公子ルイ·ガブリエル·ドゥ·ケルゴルレイは、チュイルリー宮殿でジュスティーヌ·ドゥ·フォードアと結婚。それは2大貴族を結ぶ重大な儀式でした。国王ルイ16世とマリー·アントワネットも出席しました。
1803年、ルイ·ガブリエル·ドゥ·ケルゴルレイはフランスに戻って国会議員となり、シャトーでの生活を開始します。そこで、彼のいとこの親友アレクシス·ドゥ·トクヴィルと民主主義についてよく議論しました。ケルゴルレイ一家はそれ以来、シャトー・ドゥ・カニジーにとどまり、一族の精神はひるまずに高い望みを抱き続けます。
そして今日、シャトーでは新旧が融合しています。優雅な16世紀の建造物とともに中世の要塞の塔と宿舎はまだ残されている一方で、ザ・ビートルズによって有名になった洞窟をモデルにした演劇や地下にはナイトクラブが増築されました。
年々、デニス伯爵のカニジーへの情熱は強さを増していくばかりでした。彼がまだ若い頃、シャトーのサロンは思想家や知識人の安息地となって、国家の重大な問題を議論する声がそこに響き渡り、彼はアスペン研究所の著名なブレーンにも信頼されていました。 また音楽愛好家としても、カニジーのダローン・ドゥ・ミュジークでクラッシック権威者のパレードも主催しました。
近年にはケルゴルレイ家の想像力、探求心と細部にわたる配慮が要求されたプロジェクトによって、スイートの1部屋1部屋が愛情を込めて復元されました。 ケルゴルレイ家のおもてなしを受けた方々の中には、ロバートマクナマラ元米国務長官、アフガン元大統領ブルハヌディンラバニ、フォーク歌手ジョーン·バエズ、メージャー元英首相、インファンタ。エレナスペイン王女、皇太子妃雅子様、リック・ペリーテキサス州知事など各界著名人が名を連ねます。 また、アスペン研究所、ロンドン王立基金、ダブリンのヨーロッパ・ヘルスケアー・マネージメント、アメリカの議員協会、ロサンジェルスにあるベントウッド芸術学校など、数々の団体・組織の方々もシャトー・ドゥ・カニジーでのおもてなしを体験されています。
ケルゴルレイ一家
シャトー・ドゥ・カニジーの現居住人は彼らの大切な家族とともに愛情を持って生活しています。伯爵夫妻と成人した子どもたちは、そのエレガントなホールや風格のある居間で一緒に過ごしたすべての時間に価値を見いだす、固い絆で結ばれた一家です。
デニス伯爵は鋭い歴史感覚と芸術文化への情熱を持つ現代のルネッサンスマンであり、シャトーとそのストーリー性のある歴史を知る生き字引きです。彼はフランス遺産協会の会長と、「ヨーロッパ文化遺産の声」のヨーロッパ·ノストラの会長として貢献。2009年以降、1917年に設立されたエクスクルーシブ・ダイニングクラブのセルクル・アンテラリエの社長を務めました。伯爵婦人一族についてバイキング時代まで足跡をたどると、フランスのパーシー一家がカニジー近くに居を構えた頃です。彼女の先祖の一人、ウィリアム·ドゥ·パーシーは、1066年に征服者ウィリアムと共にヘースティングズの戦いに参戦、後に十字軍で戦います。ペルサンで生まれた伯爵婦人マリー·クリスティーヌは、メディアと知的財産の弁護士、表現の自由を求める有名な活動家、そしてフランソワ·ピノーの元法律顧問です。彼女は新しい人生を吹き込んでくれる優雅で温かい家庭を安らぎの場として喜びを感じていました。
ケルゴルレイ家は今日、そのユニークな家庭とゲストとともに共有する大きな喜びを感じています。彼らはやさしいホストファミリーであり、シャトー・ドゥ・カニジーへの情熱はすべてのお客様の滞在が永遠に思い出深いものとなることを確信させます。